リキ先生を偲ぶblogのシリーズを書こうと思いました。
私のつたない文章力では、表現できないかもしれませんが、
少しづつ書いていこうと思います。
先生は、人間的に魅力があったので多くの人が引き寄せられ、
協力者となって現れました。
その代表が伏見の親方だと思います。

(タケノコを掘りに千葉の夷隅郡まで行った時の写真です)
左から二番目が伏見の親方です。
もう亡くなられて10年以上、経ちますね。
若くして亡くなられました。
ちょうど、今の私ぐらいの歳で亡くなられたのです。
親方は、地元の浅草で、建築会社を営んでみえました。
いわゆる「とび職」です。
だから、うちのジム人からは、「親方」と呼ばれていました。
私も、とてもかわいがってもらいました。
「先生、サウナ行かない?」とよく浅草のサウナに連れてきて頂きました。
(もう、今はなくなっているのかな)
サウナで色んな、下町の話をしてくれました。
また、親方は、色んな子どもをかわいがってくれました。
隣の区に住む男の子が、「両親とうまくいっていない」と聞けば、転校させて、
自分の家に住まわせ、中学校に通わせてあげるぐらいの男気のある方でした。
また、ある時は、3年生で転校してきた、勉強しない、学校でも来ないし、
進学もしないという生徒に
「ウチで面倒見ますよ」と言ってくださり、鳶として、一人前になれるように
導いてくれました。

(15年ぐらい前に、フジテレビで放送された時の伏見さんです)

学校に行かない中学生に、職場体験させてくれる温かい親方でした。

「うちに来てから、無遅刻、無欠席、自分から休みを下さいと言ったことは、一度もない」
「素晴らしい」と言った時は、親方の表情も嬉しさを表していましたね。
今でも、その言葉を忘れてはいません。

リキ先生が、倒れて入院してしまい、相談相手がいない時は、時々、お墓に行って相談していました。
親方の生前の思い出す言葉は、
「菱田先生、中途半端でやめたら、ダメだよ」「子どもたち見捨てないでな」
そんな言葉を思い出します。男気ありましたね。
今頃、天国でまた、リキ先生と談笑しているのでしょうね。
天国でのんびりしていてくださいね。
そして、また、菱田を天国から導いて下さい、よろしくお願いします。
菱田慶文
私のつたない文章力では、表現できないかもしれませんが、
少しづつ書いていこうと思います。
先生は、人間的に魅力があったので多くの人が引き寄せられ、
協力者となって現れました。
その代表が伏見の親方だと思います。

(タケノコを掘りに千葉の夷隅郡まで行った時の写真です)
左から二番目が伏見の親方です。
もう亡くなられて10年以上、経ちますね。
若くして亡くなられました。
ちょうど、今の私ぐらいの歳で亡くなられたのです。
親方は、地元の浅草で、建築会社を営んでみえました。
いわゆる「とび職」です。
だから、うちのジム人からは、「親方」と呼ばれていました。
私も、とてもかわいがってもらいました。
「先生、サウナ行かない?」とよく浅草のサウナに連れてきて頂きました。
(もう、今はなくなっているのかな)
サウナで色んな、下町の話をしてくれました。
また、親方は、色んな子どもをかわいがってくれました。
隣の区に住む男の子が、「両親とうまくいっていない」と聞けば、転校させて、
自分の家に住まわせ、中学校に通わせてあげるぐらいの男気のある方でした。
また、ある時は、3年生で転校してきた、勉強しない、学校でも来ないし、
進学もしないという生徒に
「ウチで面倒見ますよ」と言ってくださり、鳶として、一人前になれるように
導いてくれました。

(15年ぐらい前に、フジテレビで放送された時の伏見さんです)

学校に行かない中学生に、職場体験させてくれる温かい親方でした。

「うちに来てから、無遅刻、無欠席、自分から休みを下さいと言ったことは、一度もない」
「素晴らしい」と言った時は、親方の表情も嬉しさを表していましたね。
今でも、その言葉を忘れてはいません。

リキ先生が、倒れて入院してしまい、相談相手がいない時は、時々、お墓に行って相談していました。
親方の生前の思い出す言葉は、
「菱田先生、中途半端でやめたら、ダメだよ」「子どもたち見捨てないでな」
そんな言葉を思い出します。男気ありましたね。
今頃、天国でまた、リキ先生と談笑しているのでしょうね。
天国でのんびりしていてくださいね。
そして、また、菱田を天国から導いて下さい、よろしくお願いします。
菱田慶文
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